純粋であれ。
先日のブログ更新から、彼女と話しあった。
自分が感じていること、したいこと。
誰かに初めて、正直に自分の心の深いところの思いまで打ち明けた。
中学校の時、東京から大阪に引っ越した。
東京ではクラスの比較的中心にいたけれど、大阪は東京とは全く違った文化圏で。
それこそ絵に描いたような不良校に転校してしまった私は、どうにも馴染めずに辛い思いをした。
気づけば体育館の靴がなかったり、体操着が勝手に使われていたり。
授業中にコンビニに行くといって席を立つクラスメイト、特に止めることもない教師。
よく割れる窓ガラス、突如廊下で行われる野球。
見知った学校とは全く違ったもので、なんとも辛い思いをしたものだ。
その学校は、ルールなんて二の次で、とにかく好き放題だった。
他人の靴や、服なんて勝手に借りたって、返せばいい。
廊下で野球して何が悪い?コンビニに出かけたっていいじゃないか。
当然、そんな行為は許される訳はない。
他人のものを無断で勝手に借りていくなど、ただの窃盗だ。
でも、そんな無法地帯な学校に通う生徒は、
不良や真面目な生徒含め、なぜか誰もが楽しそうだった。
卒業式の日、散々クラスを好き放題に荒らして、
少年院に入るような騒動まで起こす学年一の問題児は泣いていた。
本当に、心の底から泣いていたと思う。
体育館から出てくるとき、誰よりも泣いていた彼をみたとき、
ついに理解した。
辛かったのは自分がそう思っていただけだ。
何もわかっちゃいなかった。本質が見えていなかった。
ただ、楽しんでいただけだ。
全力で、この短い中学校生活を楽しんだ。
それも、クラス全体で楽しもうとしていたんだ。
彼らのやり方は確かに間違っていたかもしれない。
でも、少年院に行った彼のことをネタにはしても、見捨てたり、蔑んだりする人はいなかった。
クラス内の結束は何よりも硬かった。
その光景は、その学校に味わった辛い気持ちを払拭させた。
ただただ、その光景に魅せられた。
そして、あんなにも辛かった学生生活は、何事にも変えがたい思い出の一つとなった。
こういった体験は、実際に環境を変えてみなければわからないこと。
辛い出来事も、くだらない日常も、心揺さぶられる出来事だって、
外に出て、見知らぬ環境に繰り出すことから始まっている。
変わらないことは楽だ。
どんな日々もいずれは安定を迎え、平和な日々が訪れるだろう。
でも、同じ環境にとどまり、そこに滞留してしまったら、心が淀んでしまう。
変わることを忘れ、心だけが老けてしまう。
それはダメだ。自分自身がダメになる。
私は、様々な場所に根ざした、そこにしかない”日常”を知りたいんだ。
そうして、私は以後の人生で、大学生になって以降5度の引っ越しを重ね、今に至る。
そして月日は経ち、社会人になった。
大学生のように自由に時間を使うことができなくなって、
このままの日常が続くのなんて耐えられない、って焦りだして。
でもどうしたらいいのかわからなくて。
とにかくアクションを起こさなきゃ、と、
ブログを熱心に公開してみたり、ツイッターで呟いてみたりした。
でも、どうしても、情熱が消えてしまう。
気持ちが前を向かない。向け続けることができなかった。
「本当にこんなことしたかったんだっけ」
「これで目標を達成したとして、幸せをつかめるのか…?」
不確実な未来に不安は尽きない。
でも、少なくとも、”目的を達成する手段”のために行う行為は幸せに繋がらない。
それに気づいた。
中学校で体験したことは、完全に非合理だったし、
誰がどうみても褒められることではなかったけれど、
あの時、私は、誰よりも充実で濃厚な半年間を過ごしたと胸を張って言える。
やりたいことがある。
それにはある程度お金が必要だ。
人間関係や仲間、コネだって必要になるかもしれない。
でも、やりたいことをするために”お金を貯めるための何か”を始めたり、
やりたいことをするために”人間関係を上手く築く勉強”をすることは、
間違ってはいないけれど、焦点がずれてしまっているように感じた。
目的と手段を履き違えない。
目的達成に合理性は不要だ。達成できればなんだっていいんだ。
目的を達成するために行動して、それで生きていくことが大事なんじゃないか。
単純なことだけれど、見落としがちなこの事実を、忘れないようにしたい。
私は今でもあの時の不良生のように、正直に生きられていない。
でも、今日彼女に自分の正直な思いを少しは伝えることができた。
私は自分のレールを歩み始められただろうか。
純粋であれ。正直であれ。
明日も自分の人生を歩めますように。
私がしたいこと、そのためすべきこと。
こんばんは、しわすなです。
前回のおさらい的には、
”御託はいいから、とりあえずやってみよう!!!!”
って感じのことを書きました。
やりたいことはある程度明確になった。
じゃあ目下の課題はなんだろう??
何から始めればいいかな??
順を追って整理してみます。
【私の好きなものは??】
→以前も書いたけど、総括するとこんな感じ。
・束縛されない
・日常と非日常
・ 一体感、共感性
・照明、ランプ
・無計画
・みんなで。誰かと。
【強いてイチバン大事なものは??】
→"束縛されない"こと!!
どんなに仲が良くても、自分が嫌なことに取り組むのにはエネルギーがいる…
自由に、思うがままに、子供のように好き勝手できるのが最高!!
【じゃあ、今あなたが束縛されていると感じているものは??】
→主に束縛を感じるのは、大別して以下の通り。
- 嫌いなこと(会社、苦手な人など)に時間を束縛されている時
- 無駄なルール、慣習を守らされている時
- 自分のやり方を否定し、常識を説いてくる時
- 好きな人がルールや慣習、金銭面などで不自由であるとき
【どうすれば解消でき、理想に近づける??】
→自分と周囲に問題を抱えているので、解決法は以下が考えられる。
- 苦手な人、嫌いなものから距離を置く。
- 好きなこと、面白い人に触れる機会を増やす。
- 好きな人が自由になれるよう、フォローする。
→つまりは、今の仕事には見切りをつけ、好きなことを好きなだけ
誰かに束縛されずにできる環境に移るべき。
興味のあることにどんどん頭を突っ込み、出会いの回数を増やす。
正直に周囲に思いを伝え、自分から周囲に影響を与えられるように。
【行動するのは、バンバン外に出たらいい。時間は作れるだろう。】
【じゃあ、どうやったら仕事を辞められる??】
→結局は収入の問題。家賃等の生活費は最低限稼ぐ必要がある。
まずは出費を減らすことは当然として、
いきなり新しく始めた好きなことでそれを達成するのは難しい。
そして、できれば土地にもあまり縛られることなく自由にしていたい。
となれば、一般的な土地に根付いたような仕事では向いていない。
そして、そんな仕事は収入が安定する保証もない。複数の収入源を持つのがベター。
つまりは、PC1台でできる仕事が1番都合がいい。
【PCでの仕事と好きなことを結びつけるには??】
→まずは照明系。
単純にインテリア照明が好きで、ちょっと明かりを変えるだけで雰囲気が一変する。
どんな部屋でもランプ1個でおしゃれ空間ができる凄さときたら。
そして、私は買い物も好き。
無駄にショッピングモールを3周も回ってから買い物なんてしても、全然平気。
となれば、照明を紹介、販売できる感じの方向がいいのでは??
あとは無計画。
これはもう、ノープランに無駄なことを好き放題したいだけ。
でも、してるだけでは出費ばかりがかさむことになる。
てことで、好き勝手にしてる様を情報発信していけばいいのでは??
【すべきことは決まった。】
【では、まずは何から始める??】
→照明サイト作りはwordpressで開設から。
そしてそれと並行して、下記を勉強。
無計画については、まず認知してもらう必要がある。
てことはまず情報発信だ。そこからがスタート。
そして、並行してどんどん行動あるのみ。
得た情報、経験を外出ししていけるように。
そして、このブログを書いているPCのスペックが弱い(macbook pro 2012 mid)。
調べてみたところ、メモリとHDDが交換可能とのこと。
予算もないので、自力で交換し、現状可能な最高スペックにして効率を上げる。
…よし、こんなところかな!!
自由になるために、好きなことを好きなだけするために、
後先考えず突っ走ってみよう。
行動は思考にも勝る。
お久しぶりです、しわすなです。
自分が好きなことをバーっと書き出した前回の記事を書いた後、
どうしたらいいかなー、どれが一番やりたいのかなー…と考えていたのですが。
結局のところ、やっぱりやってみなければわかるものもわからないな、と。
主にこんなツイートを見かけて、そんな思いを強くした次第です。
合わせて読むと大抵の人は焦りが止まらなくなるのがこの文章
— Kohtaro (@kohtaro98) 2018年7月26日
人生の助走期間と本番 https://t.co/YmKz01ekf9 pic.twitter.com/6jbWexpvsr
もう、私たちに余分な時間なんてないんだ。
準備期間なんてとうに過ぎている。
何事にも遅すぎるなんてことはない。
でも行動しなければ、時間は光のように過ぎる。
それに、人の体はどうあがいても老いていく。
自分が行動し始めた時に、体がついてこなかったら、元も子もない。
でも、じゃあ何から始めればいいんだ??
ひとの役に立つことを考えるのではなく、じぶんがやりたいことを誰かの役に立つようにアレンジするんだよ。どんなことでも必ずなにかの役に立つ。べつに「生活が豊かになること」だけが役に立つではない。なにかクスッと笑えるようなものでもいい。とにかく人々の生活に、なにか1つ添えられるものを。
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) 2018年7月30日
突き抜けたことをやっていると、目の前のひとの役に立つことは難しいかもしれない。だったら、それでいい。いっそ、目の前は捨ててしまえばいい。ほんとうに突き抜けたことをやっていれば、かならず世界の何処かに「それ!めっちゃいい!」と言ってくれるひとがいる。彼らと出会うために頭を使うんだ。
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) 2018年7月30日
人の幸せと比較しない、人の才能を妬まない、自分のやりたいことをやり続ける、つまらないことはすぐやめる、自分の持ち物を見せびらかさない、肩の力を抜く、見栄を張らない、会いたい人に会う、重荷になる人間関係から離れる、バカでい続ける、迷わない、人の意見に惑わされない、自分の直感を信じる
— あたそ (@ataso00) 2018年7月31日
生きる意味を考えたり、自分は生きるのに向いてないだとか、死にたいなどと思うこともある。でも、一番奥では「生きたい」と思っている。楽しみたい、温もりに触れたい、生まれてきたことを喜びたいという切実な願望がある。だから、みんな、生きているのだと思う。命は、生きたがっているのだと思う。 pic.twitter.com/npyavegeLw
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年7月25日
そう、きっと好きなことは考えて思い付くものじゃない。
子供の頃、いくらでも次にする遊びを思いついたように。
どんなにくだらないものでも、心をときめかせて欲しがっていたように。
面白そうだからしたい。
欲しいからほしい。
やりたいからやりたい。
きっとそれくらい本能的で良いのだと思う。
だからこそ、できるかきっちり吟味してから始めるのではなく、
面白そうだと思ったら、手を出す。
とりあえずやってみて、ダメだったらやめれば良い。
ハマったら、徹底的にどハマりして、とことんやる。
外から面白そうなことをインプット。
次にまず行動。とりあえず手を出してみる。
合わないと思ったら潔く諦めて、
面白かったら、徹底的にハマる。
思考よりもまず行動。
最近はやっぱり負の感情でふさぎ込みがちになってしまっていたけど、
やっぱり、マイナスオーラのところにハッピーエンドは訪れない。
結局のところ、笑顔に叶うものなんてないのだから。
卑屈な感情を否定することはしない。
でも、それを理由に、何かができないと諦めないように。
自分自身が誰よりも自分を信じられるように、
日々を笑顔で過ごせるように、リスタートだ!!
私の好きなもの、好きなこと。
書き出し。
さて、もっと考え過ぎずに思うがままやろうと決めたので、
今日は、改めて自分自身が好きなもの、好きな事を洗い出してみます。
一応、ブログが見づらいのは自覚しているので、
ブログ技術の向上のためにも、徐々に工夫していきます・・・
好きな事。
・イベント照明
好きなもの。
まとめ
ここまでのキーワードをまとめてみると・・・
・束縛されない
・日常と非日常
・ 一体感、共感性
・照明、ランプ
・無計画
・みんなで。誰かと。
こう見ていくと、ゲームは誰かと一緒に自由にしたいだけであって、
ゲームに固執する理由はないかも。
つまりは、
"誰かと""無計画に""意味もないことを""一緒に"過ごしていきたいというのが理想、なのかな。
照明や旅はひとりでもやりたいことだから、
理想とはまた違った、やりたいことってことでいいのかも。
あとがき
おおよそのやりたいことは見えてきた。
次は、これを形にしていく上で、必要な事をまとめていこう。
正直、メモベースで書いているような取り留めもない内容も書いてしまったけれど、
いつか「私は昔はこんな感じで迷ってたんだよ、みんなと同じだったんだよ」
と言えるように、ありのまま記録しておく事にします。
生きたいから生きる。やりたいからやる。
会社員として勤め始めて3年目。
入社当時はあんなにも輝いていた街の景色は、色あせて見えるようになった。
変わらない日々。事務所と家を往復する間の変わらない景色を見ながら思う。
子供の頃みた景色とさして変わっていないはずなのに、どうしてこうも味気なく見えるのか。
感情は徐々に薄れ、喜怒哀楽の振れ幅が小さくなる。
なにが楽しいのか。なにがしたいのか。
自分の感情が自分自身でもわからなくなった。
でも、お金は必要だ。
働かなきゃだめだ。
ただそれだけの気持ちで足を運ぶ。
今は彼女もいて、同棲もしていて、端から見たら幸せなカップルと思う。
ただ、それが"しっかりしなければ"という足かせにもなった。
これが子供たちが目指すべき大人の世界。
大人になるという夢と希望をもたされ、夢を叶え幸せになるべきだと教え込まれ、
言われるがまま、がんばって大人になった結果がこれか。
気持ちは沈み込む。
際限なく、ただただいろんな感情の境界がぼやけていった。
そんなとき、坂爪圭吾さんのブログに出会った。
「こんなにも自由に、自分が思うままに生きている人がいるんだ」
衝撃だった。
そして、以前坂爪さんのツイートに対するリプライにあった言葉がとても象徴的だった。
"坂爪さんのブログは愛がありますね"
否定せず、苦しい事も含めて正面から受け止めて、それでも希望を持って。
坂爪さんの根幹にあるもの、それは色々な事に対する愛を持った行動。
"愛しさ"を大切にした生き方。そう感じた。
そんな生き方をしたいと、思った。
「わたしもブログをはじめよう。伝えたい事を、ありのまま伝えよう。」
ただ、これまで与えられ続けてきた社会の呪縛は強い。
「収益は大丈夫か?」「副業だけで食べていけると思うな」
「行動しなくちゃ変わらない」「無計画にやってもだめ」
いろいろなネットの意見に流され、また何を書いたらいいのかわからなくなった。
「自分が好きな事を書こう、でも好きな事ってなんだろう、
これかな、いや、でもこれに絞っていいのかな、
やってみたらいいかな、でもやってすぐにやめてを繰り返してもな、
やっぱりこのアプローチは違う、もっと将来の事を考えて収益面とか・・・」
こんな感じの思考を何周も何周もした。
そして気づいた。
そのときに取っていたメモの原文がこれだ。
私は、IT企業に勤める3年目の社会人であり、何の変哲もない平凡な日本人だ。
でも、私は自分自身の可能性を、自分自身の価値を信じたい。
それはお金持ちになるとか、結婚するとか、自由奔放に生きるとか、そんなものじゃなく。
私は私が思ったことを大切にしたいし、こうして今感じている感情も大事にしたいし、
今まで会ってきた人たちも愛しく思っていたいし、どんな瞬間の景色でも輝かしく感じていたい。
誰よりも、自分に正直でありたい。
私は、この世界を、自分の人生を、すべてを"愛しく"感じていたいのだ。
他の人はこうだから、常識だから、ルールだから、決まっている事だから。
そんな言葉で自分の気持ちを押し殺してしまわないように、このブログを始めました。
この記事は自分が本当に大事にしている感情を記す、いわば初心表明の記事であり、
これまで感じてきたこと、今感じている事、これから感じていくことをすべて正直に、大切にしたい、という感情整理の記事であり、
こんな雑多な気持ちでも誰かの救いになることを夢見て、宛てのないボトルメッセージをインターネットの海に流す、ただの落書きな記事でもあります。
このブログが何をもたらすのか、それは私にもわかりません。
でも、私は生きたいから生きる。やりたいからやる。
改めて、はじめまして。
奇跡的にこのブログをたどり着いたあなた、本当にありがとう。
私の名前は「しわすな」です。
よければ、私のいろんな感情の色が混ざり合った、この"あわい"人生の記録を見ていってください。