生きたいから生きる。やりたいからやる。
会社員として勤め始めて3年目。
入社当時はあんなにも輝いていた街の景色は、色あせて見えるようになった。
変わらない日々。事務所と家を往復する間の変わらない景色を見ながら思う。
子供の頃みた景色とさして変わっていないはずなのに、どうしてこうも味気なく見えるのか。
感情は徐々に薄れ、喜怒哀楽の振れ幅が小さくなる。
なにが楽しいのか。なにがしたいのか。
自分の感情が自分自身でもわからなくなった。
でも、お金は必要だ。
働かなきゃだめだ。
ただそれだけの気持ちで足を運ぶ。
今は彼女もいて、同棲もしていて、端から見たら幸せなカップルと思う。
ただ、それが"しっかりしなければ"という足かせにもなった。
これが子供たちが目指すべき大人の世界。
大人になるという夢と希望をもたされ、夢を叶え幸せになるべきだと教え込まれ、
言われるがまま、がんばって大人になった結果がこれか。
気持ちは沈み込む。
際限なく、ただただいろんな感情の境界がぼやけていった。
そんなとき、坂爪圭吾さんのブログに出会った。
「こんなにも自由に、自分が思うままに生きている人がいるんだ」
衝撃だった。
そして、以前坂爪さんのツイートに対するリプライにあった言葉がとても象徴的だった。
"坂爪さんのブログは愛がありますね"
否定せず、苦しい事も含めて正面から受け止めて、それでも希望を持って。
坂爪さんの根幹にあるもの、それは色々な事に対する愛を持った行動。
"愛しさ"を大切にした生き方。そう感じた。
そんな生き方をしたいと、思った。
「わたしもブログをはじめよう。伝えたい事を、ありのまま伝えよう。」
ただ、これまで与えられ続けてきた社会の呪縛は強い。
「収益は大丈夫か?」「副業だけで食べていけると思うな」
「行動しなくちゃ変わらない」「無計画にやってもだめ」
いろいろなネットの意見に流され、また何を書いたらいいのかわからなくなった。
「自分が好きな事を書こう、でも好きな事ってなんだろう、
これかな、いや、でもこれに絞っていいのかな、
やってみたらいいかな、でもやってすぐにやめてを繰り返してもな、
やっぱりこのアプローチは違う、もっと将来の事を考えて収益面とか・・・」
こんな感じの思考を何周も何周もした。
そして気づいた。
そのときに取っていたメモの原文がこれだ。
私は、IT企業に勤める3年目の社会人であり、何の変哲もない平凡な日本人だ。
でも、私は自分自身の可能性を、自分自身の価値を信じたい。
それはお金持ちになるとか、結婚するとか、自由奔放に生きるとか、そんなものじゃなく。
私は私が思ったことを大切にしたいし、こうして今感じている感情も大事にしたいし、
今まで会ってきた人たちも愛しく思っていたいし、どんな瞬間の景色でも輝かしく感じていたい。
誰よりも、自分に正直でありたい。
私は、この世界を、自分の人生を、すべてを"愛しく"感じていたいのだ。
他の人はこうだから、常識だから、ルールだから、決まっている事だから。
そんな言葉で自分の気持ちを押し殺してしまわないように、このブログを始めました。
この記事は自分が本当に大事にしている感情を記す、いわば初心表明の記事であり、
これまで感じてきたこと、今感じている事、これから感じていくことをすべて正直に、大切にしたい、という感情整理の記事であり、
こんな雑多な気持ちでも誰かの救いになることを夢見て、宛てのないボトルメッセージをインターネットの海に流す、ただの落書きな記事でもあります。
このブログが何をもたらすのか、それは私にもわかりません。
でも、私は生きたいから生きる。やりたいからやる。
改めて、はじめまして。
奇跡的にこのブログをたどり着いたあなた、本当にありがとう。
私の名前は「しわすな」です。
よければ、私のいろんな感情の色が混ざり合った、この"あわい"人生の記録を見ていってください。